2012年2月25日土曜日

贈与でまわる社会

ここ数年、わたしが活動しているNPOで常に言われているgift nextという考え方は、
受けたGift(経験・知識・金銭等)をその次の世代へ受け継いでいこうというもの。
代表も、大学時代にさまざまなチャレンジが
そういう寄付文化やサポートがあったからだという原体験があって、
10年前にこの団体を立ち上げている。
(それでそのまま10年続けてるんだから、マジで尊敬してしまう)

先日、下流社会という本を読んだ。
価値の交換は、相手から"贈与"されるという認識から始まる。
幼い頃から慣れ親しんだ"消費行為"は即時の等価交換だけれども
労働行為は自分がその等価を受け取るまでに時間がかかる。

消費行為を基準に価値観がつくられている若者は
学びや労働という面において、その時間差に耐え切れない故に
(先を想定できない/あるいは等価交換でない行為に不安を感じる)
「学びからの逃走」やニートが生まれるのではないかという説があった。

下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち/内田 樹
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これは、自分の体感として何だかすごく納得してしまう。
STEP22のメンターをしているのは、何だか時々はがゆい。
自分が手を出して色々やってあげた方が、そりゃ準備も早いかもしれない。
だけど、目の前の相手の力を信じて、待つ。時々手や口を出しつつ笑、待つ。
わたしも待ってもらった結果、最初は想像もつかなかったような
海外への渡航ができたし、今のライフワークに繋がっている。

せっかく、両親が多額のお金をかけて大学時代という時間を"贈与"してくれて
さらにはそれを許してくれる社会の枠組みや大学の制度がある。

なのに大学時代にバイトをしたり、インターンをしたりするのも同じ。
目の前の授業で何を得られてるのか不安だから、
分かりやすいやりがいや成長に飛びつく。

これも、どんな対価が得られるか明確じゃないものには
心の奥底で、不安を感じるからじゃないかな。
就活の企業選びの軸も同様じゃないか。

本の中では、学ぶことの本質は分からないものでも飛び込み、
一定の学びを得た時点で自分が何を学んだのかが分かることだと言っている。
学びとは、自分自身の変化を想定に入れなければいけないと。
そんな経験、どれくらいしているだろう?

調べてみると、江戸時代には恩送りという文化があったそうだ。
情けは人の為ならず、という言葉は情け(恩)は人の為だけでなく
巡り巡って自分に帰ってくるものだから親切にしておいた方がいい
っていう意味らしい。(from wikipedia)
映画にもなったpay it forwardも同じ概念からきている。

最近、自分の手でものを生み出すよう心がけていて、
料理や自分の肌に触れるもの、小さな小物などを細々とつくっている。
その時に驚くことは、時間と手間ひまがかかること。
まずは、どうつくるか学ばなければならないし
そこからつくること自体に時間がかかる。

ただ、そういったつくることを積み重ねてきた結果が
今の社会や生活だと考えると、敬意と疑問を重ねもつ。
まず、自分は何を生み出してるか。どんな"贈与"をしたいのか。

買うことはその物への共感を示すこと。作り手の贈与を受け取ること。
買うということにおいて、本当に、そうしてるか。

何となく、日常の中でこういったことが
無意識のうちに体現できるような仕事をしていきたいと思っている。

ちなみに、次は日本の文脈を読み始めた。楽しい。

日本の文脈/内田 樹
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